· 

ファミリービジネスファミリーにおけるナラティブの好例

家業として商売を営むファミリーは、世界中に存在します。

 

いうまでもなく、家業のことをファミリー・ビジネスといいます。ヨーロッパや北米の学術界では、「ファミリー・ビジネス研究」が、早くから経営学の専門分野として確立しました。

 

家業を営む一族のことを、ビジネス・ファミリーと呼ぶこともあるのですが、当研究所ではここで一歩踏み込んで、ファミリー・ビジネス・ファミリーという呼称を提唱しています。

 

つまり、家業を営むファミリーということで、海外の有力な学者の中でも用いている先生がいました。

 

日本語では、「事業家」と書いて、「ジギョウケ」と読ませます。「ジギョウカ」と読んだら個人を指すので、過去に遡って一族全体を指し示すために、「一族の家柄」の意味において「家」という字を用いる際の発音である「ケ」を用います。

 

武家、公家、商家など、家の商売を指すときに、「ブケ」「クゲ」「ショウケ」などのように、家の字を「ケ」と発するわけです。

 

商業のみならず、町工場のような工業もあるし、それ以外の事業もあるので、広く事業家(ジギョウケ)と呼ぶのはどうかという提案です。

 

さて、その事業を営む家系では、後継者に先祖代々の話を伝えていく必要があります。

 

ところが、これがあまりうまく行われないことが往々にして生じます。

ひとたび伝承が途絶えてしまうと、当たり前ですが、ストーリーはそこで中断してしまい、後世に伝わっていくことができません。

 

事業家でありながら事業を放棄してしまう世代が現れる原因の最たるものに、先祖に対するリスペクト

の欠如があると見ています。

 

ストーリーが伝承されていなければ、敬意も感謝も生じるわけがありません。

 

どこかで紙に書き残しておくことは、ストーリーの中断を防ぐために有力な方法です。

しかし、ペラペラの紙っぺらでは、長期にわたって保存されていくかは心許ないでしょう。

 

そこで、本というオールドメディアの登場です。

電子媒体と違って、後世における技術の進化や規格の断絶による読み取り不可能という事態を回避できます。

 

このたび写真のような立派な本を読みまして、非常に感銘を受けました。

 

この場でその感銘を共有したいと思います。

以下は私の読書感想文です。

 

-------------------------------------------

 

老舗商家の創始者たちを地球規模の舞台で躍動させた快著

 

吉田誠男『遠き海原――世界都市「江戸」誕生の物語』

2017年、サンダーアールラボ刊)

 

 

 

浮世絵の版元として、広重などの版画を世に出した老舗扇子商の14代目の手になる一冊。内容を一言でいえば、同郷だった徳川家康の求めに応じて、三河・遠州の地から、まだ開墾前の江戸に出てきた著者の先祖とその後裔たちの夢と苦労の物語である。

 

夢とは、まだ江戸の真ん中を石神井川が氾濫を繰り返し暴れていて、江戸湾の奥の日比谷入り江が駿河台下あたりまで入り込んでいたころに、江戸を世界一の都市にしてみせるという、それこそ夢のような野望。苦労とは、洪水、台風、地震、大火など繰り返し襲いかかる天災に店舗と住居のみならず身内や番頭まで失いながら、何度も立ち向かい、都市と家業の基盤を築いた創業家3代の奮闘の姿である。

 

それだけ聞くと、よくある「ファミリーヒストリーもの」でしかないのだが、豈に図らんや、そこになんとオランダ人ヤン・ヨーステンとイギリス人ウィリアム・アダムスが終始絡んでくるところが、並のプライベート・ヒストリーとはまったく別物といえる。

 

八重洲の地名にもなったヤン・ヨーステンは、当時世界最高の土木技術を誇ったローマ帝国統治下で培ったオランダの港湾都市整備の技術を家康に伝授し、実際に施工にあたったのが著者一族の創始者だったというし、関ケ原の合戦も大阪夏の陣・冬の陣も実は豊臣家に食い込んでいたスペイン・ポルトガルのカトリック国家から、世界有数の銀の産出国である日本での利権を奪取して世界の覇権国家に躍り出たいプロテスタントの英蘭連合が糸を引き、ウィリアム・アダムス(三浦按針)による戦術指導と台湾配備のオランダ艦船による砲撃支援によって決着したという、目を丸くするような発想である。

 

実話のような物語なのかと思って読み進めると、いつしかフィンクションではなく壮大な世界的歴史ドキュメンタリーになっている。不思議な構成が実に新鮮だ。江戸・日本橋地区の都市整備の話と、新旧キリスト教による大航海時代の覇権争いとが同時進行しながら、地球規模の舞台装置に著者の先祖が常に物語の中心に躍動している。家康をはじめとする実在の登場人物たちが、すぐそこで喋っているような写実的な文体を伴って、こんな斬新な話が違和感もなくすらすらと展開していく。身内を語りながら、微塵も嫌みを感じさせないのは著者の技量だろう。読んでいて心地よく、いつまでも浸っていたい読中感を覚える本というのは、なかなかお目にかかれるものではない

 

著者は大学で原子力工学を修め、大手カメラメーカーで原子炉内部の監視カメラの開発に従事していたと聞いてまたびっくり。いわれてみれば、関ヶ原の合戦や島原の乱の戦況描写、江戸湾内埋め立てや運河開削の土木技法などの記述に、技術者ならではの緻密で整然とした視点が感じ取れ、文字だけの文芸書でありながら俯瞰的なビジュアルを読み手の脳裏に投影している。よそ様の社史だと思って軽い気持ちで読み始めると、極めて独創的な発想と筆致のせいで、知らないうちに引き込まれているという手痛い仕打ちを受ける。「荘周の夢(胡蝶の夢とも)」の故事を彷彿とさせる構成も小憎いばかり。

 

全体を通して、物語の端々にファミリーの発祥の地である三河に対する深い愛惜の念がほとばしる。ファミリービジネスの後継者難が報じられる昨今こそ、このように先祖の事績を顕彰し、自家の今あるのも先祖各代の血と汗の賜物であることを意識して伝承する必要がある。その継いでいくべきナラティブ(語り)として、本書は稀にみる好例といえる。家業を営む家に生まれたことに対する誇りと感謝の念が、ことさら言わずとも終始行間に滲み出ている。

 

エンターテイメントとして誰が読んでも面白いが、とりわけ日本全国のあらゆる商売人とその子女たちに、自分の家を見直すきっかけとして是非一読を薦めたい。