大手都市銀行なら信頼できるのでは?

 

 

「大丈夫」とか「信頼できる」というのは主観的な要素が多い概念で、

人それぞれによって感じる内容が異なるので、「信頼できるかどうか?」

という質問には直接答えることはできませんが、ここでは実際にあった事実を

ご紹介します。

 

Aさんは東京の都心部で事業を営む経営者でした。

事業の継承については計画的に進めていました。

 

約10年前に、経営の最戦前からは引退していましたが、80歳を越えたこともあり、

こんどは持株を手放すことにしました。

 

ここまでは家族とも十分に話し合って進めていたので、銀行などの出る場面は

ありませんでした。

 

自社株の代金がAさんの個人名義のB銀行の口座に振り込まれました。

かなりのまとまった金額でした。

 

Aさんの自宅は郊外にあります。

ある日、自宅に近いB銀行の店舗(C支店とします)を訪問すると、

窓口の女性から声を掛けられました。

 

「普通預金に置いておいても、いまは金利が低いので、何か運用を

してはいかがですか?」

「そうですね。また今度、お願いします。」

 

日本語は断り文句が断りに聞こえないから難しいのです。

よく言われるのは、売り込みの電話がかかってきたときに、断る目的で「結構です」と答えると、

「同意した」とみなされて、契約が進行してしまうという話があります。

 

これと同じことが起こりました。

一般に日本のご高齢の方は、「良い人」が殆どです。中年世代かそれより若い世代ですと、

一方的なセールス行為には、かなりきっぱりと「いりません」と言えるのですが、

ご高齢の方々は、相手を傷つけないようにというご配慮が非常に旺盛です。

 

また、Aさんのように現役時代に経営者であった方は、特に「銀行」という存在には

特別な感情を抱いています。

間接金融全盛期を現役経営者として生き抜いてきたわけですから、取引銀行に

どのように思われるかが、経営している会社の存亡がかかっているといっても

過言ではない時代だったのです。

 

Aさんは、挨拶の一環として「また今度お願いします」と言ったつもりでした。

卑近な例になりますが、若い女性の同僚を食事に誘った男子社員が「また今度ね」と

言われたとしたら、それは「お断り」という意味です。

 

Aさんも普通預金のお金を運用したいと思ったわけではなく、声を掛けられたので、

「結構です(=不要です)」という意味で、「また今度」と言ったわけです。

 

ところが、銀行員は「自分の良い方に解釈する」という習性があるようです。

後日、Aさんの自宅にB銀行から電話がありました。

「ご提案をしたいので、C支店に来てください」ということでした。

 

指定された日にAさんがB銀行C支店を訪れると、応接室には見慣れない人たちが

何人かいました。

名刺を受け取ると、同じB銀行ではありますが、自宅近所のC支店ではなく、

都心部のD支店に所属する行員たちでした。

 

Aさんが現役時代に経営者だったときの、メインバンクがこのB銀行のD支店だったのです。

その縁で、Aさんの個人名義の銀行口座も、D支店の口座です。

AさんがD支店に個人の口座を開設したのは、もう半世紀近く前のことで、

長い取引ということになります。

 

話は脱線しますが、銀行には支店の「格」があります。「店格」などと呼ばれる

こともあるようです。要するに、同じ支店といっても、ランクがあるのです。

B銀行においては、このD支店は店格の上位に位置する店舗ということになっていました。

 

Aさんは経営の第一線を引退してからは、もっぱら自宅近所のC支店を利用していたので、

D支店の名前を聞くのは久しぶりでした。

このとき、現役時代のことが想起された可能性はあります。

 

中小企業の経営者にとって、取引銀行の言うことは絶対であり、異論を差し挟む

余地はなかったのが昭和の時代です。

その後、金融危機などがあって、銀行といえども倒産する時代になったわけですが、

その激動の時代を常に最上位でクリアしてきて、メガバンクの中でも最も安泰と

多くの人々に思われてきたB銀行です。

 

そんなB銀行の言うことだから、まさか間違いはないだろうと信じてしまうのが

元経営者というものです。

 

その後、B銀行D支店の人達が何人も連れ立って、何度も自宅にやってきました。

B銀行の人達だけではなく、B銀行が業務提携している外資系の証券会社や、

外資系の保険会社の社員の人達も連れてくることがあったようです。

 

こうして、「ご提案」が具体化していきました。

Aさんには、最初から「資金運用」を銀行でするつもりはありませんでした。

Aさんは株式投資を長年やっており、取引の長い証券会社で資金運用をやっているからです。

なので、B銀行の「ご提案」を聞いたのは、あくまでも「おつきあい」の一環であって、

本当に運用する気はなかったのです。

 

しかし、「メインバンクの言うことだから」という昔からの癖で、断れなくなって

いきました。

次々に分厚い資料の「ご説明」が始まりますが、非常に難しい設計の金融商品で、

何が何やら、まるでわからないまま、ただ、聞いていました。

 

聞き終わると、「これにご署名ください。聞いたということです。」と言われました。

本当なら、理解するまで質問する、とか、理解できなければ署名しない、というのが

正しい姿なのかもしれませんが、「メインバンクは絶対大丈夫」と永年信じてきたAさんです。

 

言われた通りに、何枚もの書類に自署し、また、求められるままに銀行印を捺印しました。

後から見ると、「預金引出票」や「振込用紙」などには、Aさんの筆跡ではなく、

B銀行D支店の担当女子行員の筆跡でAさんの住所と氏名が書かれた書類もありました。

 

要するに、「捺印だけお願いします」と言われるままに捺印したということです。

 

こうして、外資系証券会社の設定・販売する「外貨建て投資信託」と、

外資系保険会社の設定・販売する「豪ドル建て生命保険」の2種類の金融商品を、

Aさんは数日のうちに相次いで契約することになったのですが、それを契約したと知ったのは、

自分の預金通帳から4千万円がなくなっているのを見て初めてだったのです。

 

「おい、おかしいんだよな。俺の通帳から4千万がなくなってんだよ」

ご子息がAさんから相談を受けたのは、その「契約」から何カ月も経ってからです。

同居していませんから、話す機会は年間に何度もありません。

 

ご子息Eさんは、その金額にびっくり仰天です。

4万円でも意味不明のまま消えてたら困るのに、その1千倍です。

 

びっくりしたまま、洗いざらいAさんの近辺にある資料を探しました。

確かに資料はあるのですが、単純な商品ではないので、理解するのは大変です。

分厚い資料に、複雑な計算式などが小さい字でたくさん書きこまれています。

 

どうやら、投資信託は2千万円払ったのですが、いま解約すると5百万円くらい

ペナルティーがかかってしまうということです。

 

生命保険のほうも2千万円を一時払いしていますが、こちらは、満期が104歳!になっています。

死亡するのを半ば前提にした設計の商品で、腹が立ってきました。

しかも豪ドル建てで、外貨との為替リスクは当然申込者にかかってきますので、

仮に満期まで保有しても、払い込んだ2千万円が戻って来るかどうかは、誰にもわからない

という、極めてリスクの高い商品でした。

 

Eさんが父上のAさんに問い詰めますが、Aさんは自分で購入した記憶はないと言います。

しかし、自宅に残された申込書の控には、自署や捺印があります。

 

こうして、Aさんは覚えがないまま、複雑でハイリスク、ローリターンの金融商品を

2回にわたって連続的に契約して、当然ですが、対価を取られていたのです。

 

メガバンクでも、別の2社は、80歳以上の高齢者にはこのような複雑な金融商品は

原則として販売も勧誘もできない内規になっているとのことですが、B銀行だけは

内規に反していないとのことです。

 

Eさんは金融庁にも問い合わせましたが、「個別取引については関与できない」の

一点張りで、埒が明かなかったと肩を落としています。

 

「自分の身内のことをどうかして欲しいというよりは、これが許されるなら、同じような被害に

遭う人が増えてしまうことが問題なのに」と、Eさんは「合法」の名の下に日本を代表する

大手企業によって、高齢者の被害が拡大する状況に憤りを訴えていました。