あの日立が、自社ブランドでテレビを売るのをやめるそうです。
既に、製造は中止していて、日立ブランドのテレビは他社からのOEM供給だったとのことですが、今回はそれもやめるようです。
本日付の日経新聞の記事は、その代わりにソニー製のテレビを日立の家電販売店舗網で販売することを大きな驚きとして報じています。
それもそうなのですが、日本の大手製造業企業が昔日の主要事業から完全に撤退する意思決定をしたことに注目したいと考えます。
記事によれば、現在日本のテレビ市場は年間420万台のところ、日立は6~7万台ということです。
シェアでいうと、1%台です。
シェア1%という典型的な負け戦で、いまだに戦っていたのですから、そのほうが驚きです。
これだけ大差のついた負け戦では、上位の勝ち組と比較すれば生産効率や販売効率などの数値面で、明確に劣ります。1台当たりの生産や販売の直接的なコストだけでなく、広告効果やブランディングなども含めて、企業活動のすべてにおいて、上位との差は拡大の一途をたどります。
コストが高いからといって、お客さんはその分だけ高く買ってくれる訳ではありません。
というか、逆に弱小メーカーなので、消費者にも販売店にも「安くて当然」と思われますから、コストの差以上に利幅は小さくなります。
共通経費の配賦方法にもよりますが、厳密にみれば赤字の事業である可能性も高いという惨状でしょう。
また、そうした負け戦に従事する従業員のモチベーションは、当然ですが低空飛行の状態でしょう。
このような状況は、それこそ絵に描いたような「低い生産性」の姿そのものといえます。
要するに、「負け戦をいつまでも継続する」ことは、低生産性の大きな元凶なのです。
それなのに、世の中には、生産性は「働き方改革」で改善するという間違った認識がはびこっています。
これまで日本では、業界下位でも企業が存続してきました。
高度成長期には、市場自体が拡大していたため、下位企業にも新規受注が舞い込んで来たのです。
上位企業にはもっと新規受注がありましたので、「下位いじめ」をしなくても順調に業容の拡大ができました。
今はそんな悠長な時代では勿論ありません。しかし、高度成長期に刷り込まれた「売上さえ上げていれば、なんとか喰っていける」という発想と行動様式は、いまだに消えることはありません。
いま会社で偉くなっている人が、その方程式を拠り所にして出世してきたことも影響しているでしょうし、負け戦とわかっていても、終身雇用下では撤退コストが膨大になるので、決断を下せないままずるずると継続していることもあるでしょう。
そこへいくと西洋の企業は、白人の合理主義で発想と行動が規定されているので、撤退もドライです。かのGEのジャック・ウェルチが「市場で2位以内に入れない事業からは全て撤退」という明確な条件を掲げ、実際に実行していたことは良く知られています。
企業の生産性は、残業時間削減や有休消化率向上などの、いわゆる「働き方改革」とか、執務室の模様替えなどの小手先手段による「やる気向上」などによって実現することは、仮にあったとしても改善率としては数%いけば上出来でしょう。
いま行われている「働き方改革」などは、社内で旗を振る部署(人事部など)にとっては追加的な業務となります。つまり、投入労働時間を削減するために新たな労働時間を投入していることになっています。
そのうえ、旗を振っても部隊は動かず、笛吹けど踊らずの状態で膠着しています。
それに引き替え、「負け戦からの撤退」は、経営トップによる決断があれば、所定の撤退コストが1度出て行くだけで済みますから、大きな改善が期待できます。