自分を褒めてる場合なのか?

日本人っておもしろいですね。国を取り巻くマクロ環境と、国民の自信がキレイに同期しているのです。

 

19世紀後半に、二百数十年という長期の鎖国を終了して開国しました。ちょんまげに着物姿だったのが、文明開化で一転して西洋文明を導入しました。

 

そこまではいいのですが、そのときの国民の思考回路が「日本は全部ダメだから西洋にならえ」という極論になっていったのが興味深いところです。

 

そのあとは、第二次大戦中には有名な「鬼畜米英」スローガンです。国家が先頭に立って吹聴したというよりも、朝日新聞をはじめとするマスコミが一番躍起になっていたのです。

 

戦後は、一転して「ギブミー・チョコレート」になったのは改めて書くまでもありません。その後は、国産は安物だ、全部西洋からの輸入品が上等だという舶来志向になりました。

 

ところが、こんどはバブル景気で、日本中が狂乱すると、世界中の土地や建物を買収しはじめ、「何でも日本の経営が一番」ということで、自動車や電気製品などのハードから、年功序列の賃金体系や企業内労働組合などの社会制度(ソフト)に至るまで、何でも日本が一番という、これまた極論に走りました。

 

その後、バブル崩壊から長期にわたるデフレになると、「失われた20年」などと言って、「日本は何でもダメだ」という風潮がまたもめぐってきて、国民全体が自信喪失に陥りました。

 

ところが、2020年に東京オリンピックが開催されることが決まると、またも一転して日本礼賛ブームになりました。

「クールジャパン」などと臆面もなく自分で言ってしまうのですから、今回の自分褒めは相当重症だと見ています。

 

この一環で、サービス産業分野における生産性(生み出した付加価値を、投入した労働量で割ったもの)が米国の半分以下であるという世界でも有数の生産性後進国でありながら、これを「おもてなし」と言い換えることで、効率の悪さを糊塗しているばかりでなく、自らその言葉に酔ってしまい、問題を問題だととらえることから逃避しているようにみえます。

 

 

よく進歩派の論者が戦時中を評して、「軍部は“全滅”を“玉砕”、“撤退”を“転進”などと言い換えて、真実を国民に知らせなかった」と言うことがあります。

その伝で言えば、“人海戦術”を“おもてなし”と言い換えて真実から眼をそらせているのは、軍部でも政府でもなく、供給側の産業界と需要側の一般消費者の一致した思考回路であること、つまり国民全体が自己陶酔に陥っている点で、今は戦時中よりも状況は酷いと思います。