恵方巻にみる日本企業の病理と宿痾

 

昨日は節分でした。「節分といえば豆まき」というのは、もはや昭和世代の昔話だそうです。小学生に「節分には、何をしますか?」と質問すると、最も多い返答は「恵方巻を食べる」だそうです。

 

何かと社会現象になっている恵方巻には、日本企業が抱える積年の諸問題が凝縮されています。

 

人間の病気でいえば、長年患(わずら)っていて、治したいという意思はあるのだが、治るどころか慢性化して、結局ますます病状が悪化している、という状態です。

 

恵方巻には、貧困層の増大、社会的格差の拡大という社会情勢のもとで、大量の売れ残り廃棄品が生じていることが大きな問題として指摘されています。

 

しかし、「成人雑誌の撤去」を相次いで発表したコンビニ各社をもってしても、「恵方巻からの撤退」を表明する企業はありません。

 

そして、昨日もそうですが、夕刻の遅い時間帯にも、売り場にはいろんな具材で変化をつけたさまざまな恵方巻が、山積みになっていました。

 

日本全体では、またしても凄い量の廃棄が発生したことは想像に難くありません。

 

昨年は、アルバイト従業員にまでノルマを課し、未達の場合には給料から差し引くという雇用側の強引な手法がSNSで拡散される事態にもなっていましたが、今年はどうだったのでしょうか?

 

食品の廃棄を専門に指摘している先生方や社会派のジャーナリストなどからは、厳しい声が相次いでいます。

しかし、企業には企業の論理があるので、簡単にハイソーデスカという訳にはいきません。

 

コンビニやスーパー各社が恵方巻を大々的に売り出す理由には、「お客様のニーズ」に応え、企業としても「収益機会」を確保する、という私企業としての大義名分があります。

 

さらに、企業内部には「不治の病理」が巣食っているのです。

この病巣は根深く、しつこく、社員や幹部などの手では到底治すことはできません。

否、経営者ですら、この病巣へ手を突っ込むと、返り血を浴びて自らの地位を失うリスクがあるのです。

 

こうして、この病巣は手付かずのまま、癌のように拡大し組織各所へ転移しつつ、勢力を拡大しています。

 

どこにでもある日本企業にほぼ共通する病理とは、およそ次の4点です。

 

1.利益よりも売上優先(儲からなくても一生懸命働く)

 

企業の経済的な目的は利益を上げることです。(社会的な目的や存在意義については、ここでは立ち入らないことにします)

その利益を上げるために、売上を上げます。

 

つまり、売上それ自体は、利益を計上するための手段なのです。

至極当り前のことで、いまさらこんなところに書くまでもありません。

 

しかし、多くの日本企業では、当り前ではないのです。

 

利益よりも、売上のほうに目が行っています。

会社も、経営者も、幹部もです。だから、店長など末端の管理職にも、「売上を上げろ」という指示命令が発令されます。

 

「利益も上げろ」という命令も、当然出てはいます。

しかし、組織の中では複雑な指示命令は、単純な形に姿を変えて伝わるのが常です。

 

そこで、上役の指示のうち、もっとも強い口調でなされた部分だけが伝播していきます。

 

「売上が(少々)減っても、利益が増えた」ことよりも、「利益が(少々)減っても、売上が増えた」ことを歓迎する風土が、殆どの日本企業に蔓延しています。

 

それで、「採算度外視の売上」に突っ走るのです。

 

恵方巻の大量の売れ残りを、実現したささやかな利益から差し引いたら、手許に利益は残っていない筈です。

 

しかし、流通業界では、取扱商材単品での管理会計が確立していない企業も依然として存在していますし、確立していても管理部門(本来の意味の「スタッフ」)だけで運用していて、店舗運営部門の「ライン」では活用も、それに基づく評価も行われていないケースがよくあります。

 

2.固定しない固定費

 

恵方巻は、食品を扱う流通業にとっては、既存の経営資源が全部活用できます。

 

材料仕入ルート、工場、協力業者、店舗への配送機能、店舗陳列棚、レジ、宣伝媒体。。。

すべて、通常使っているものがそのまま活用できます。

 

そのことと、「それがタダで使える」ことは、別の問題です。

しかし、人間の思考回路は単純にできているので、「そのまま使える」場合には、「追加的な費用はかからない」と考えてしまう傾向にあります。

 

工場も倉庫も店舗も、すべて固定費だから、恵方巻をやってもやらなくても、投資額や償却費には影響しないと思っているフシがあります。

 

恵方巻騒ぎは、いまや食品を扱う流通業では一大イベントです。

ここまで大規模になると、各現場では経営資源の追加的な投入が必要になります。

 

製造工場(自社直営の場合)や店舗内のデリカコーナーにおいて大量の恵方巻を作る従業員の人数は、普段よりも増員されます。品出しやレジ係も増員されています。

 

「いや、ウチは特に増員はしていない」と答える流通企業の幹部があったら、その人は危ないです。

次の①~③の、どれか(もしくは複数)に該当します。

 

①増加しているはずの実働時間をなかったことにしている(もしくは、「管理職」による無給時間外労働でまかなっている)ブラック体質

②機会費用を勘案しないドンブリ勘定体質

③そもそも機会費用という概念自体を知らないピーマン体質

 

あれだけの大騒ぎを、追加的人員投入なしで済ませているのであれば、本来遂行できたはずの業務に遅延が生じているか、取りやめていることになります。つまり、失った利益があるのですが、その分は恵方巻がもたらす収支計算において度外視してしまっていることになります。

 

3.同質競争(他社がやるからウチもやる)

 

同じことの繰り返しで恐縮ですが、企業の経済的な目的は利潤の獲得です。

 

競合他社が多数存在している時に、同じ財やサービスを同一の顧客向けに提供すると、供給過剰になるので、価格は低下します。

 

こんなことは、経済学などをもったいつけて勉強しなくても、誰でも自明の原理原則です。

 

しかし、そのことを無視しているのが日本企業です。

 

敢えて競争相手と同じことをやる。内容もほぼ同様。価格は当然同水準。

では、どうやって客に買ってもらうのかといえば、「一生懸命やる」のです。

 

各種の宣伝広告だけではありません。店の表に立って(寒い中)チラシを配ったり、大声を張り上げたりする。店内放送を(うるさい音量で、絶え間なく)かける。。。

 

高度成長期のアメ横のまんまじゃないですか!

AI(人工知能)が将棋の高段者を破った、21世紀の世の中の出来事とは思えません(大苦笑)。

 

利益の源泉は他社との「違い」にあります。

その「違い」にお客は余計に対価を払うのです。

 

それを放棄して、自ら相手と同じ土俵にノコノコ上がっていくのが、日本企業の大好きな行動パターンです。

 

4.責任のない責任者

 

なんでこんなことが行われるかといえば、一因は日本企業の会議にもあります。

 

西洋のビジネス世界では、会議は上意下達の媒体ですが、日本では合議の場です。

 

西洋ビジネスの世界では、方針は各階層の責任者が独断で決定します。その方針による成果は、当然その方針を企画立案した責任者に帰せられます。

 

プラスの結果が出たら、その責任者が見返りを得ます。

マイナスの結果が出たら、クビも含めたサンクションを受けます。

単純明快です。

 

日本では、いろんな階層の人達が多数集まって、延々と長時間の会議を繰り返します。

誰か責任者が1人で決めようものなら、「俺は聞いていない」などと臍を曲げる者が大手を振って妨害します。

 

こういう体質なので、会議で「恵方巻をやる」と決まれば、起案した人の責任はなくなります。

管理会計で恵方巻の単品収益が赤字だったとしても、「皆んなで決めた」のだから、誰も責任を取りません。

 

こうして、来年も同じ轍を踏むことになります。

勿論、皆んなで踏みますから、轍に嵌った(轍鮒の急)という認識は誰も持たないようです。

 

目出度し、目出度し。