「昔みたいに、気のきいた板前が自分でやってる店って、最近みなくなったよね」「そうそう、チェーンばっかりになって、良くないよ」という会話に参加したことのある方も多いのではないでしょうか?
需要は多いのに供給が少ない。その理由を考えてみました。
お客としては、チェーン店よりも、板前さんとかコックさんが自分の店として営業している個人店を好む人が多い傾向にあります。
セントラルキッチンという名の工場で事前に大量生産した半調理食品ではなく、お客の顔を顔を見てから、職人が1から手作りで作ってくれる。
季節感のある旬の食材や、手間のかかったプロの料理技術を楽しむこともできる。
うるさい宴会をするような団体客をとらないので、静かに落ち着いて食事ができる。
なじみになれば、店のオーナーでもある料理人に、多少の無理がきくようになる。
同伴者を連れて来店したときなど、大きな顔をすることができる。
自分がこの店を支えている常連客のうちの1人だという(勝手な)ホーム意識を持つこともできる。
いや~、いいことづくめですね!
こうした客側からみた「個人経営店の良い面」について、異論は殆どないでしょう。
しいていえば、「敷居(もしくは値段)が高い」とか「主人と相性が合わない」ということが懸念材料ですが、そういう店には行かなければいいだけですから、必ずしも本質的な問題とはいえません。
では、このように需要サイドからは絶大な支持を得ている「個人店」は、最近なぜ急減しているのでしょうか?
ここで個人店とは、和食の板前さんや、洋食のコックさんなど(別に中華とか何でも構いません)、料理人である職人さんが自らオーナーとして自己のリスクで営業している店舗をさすことにします。
一般的にいえば、日本社会が全般的にサラリーマン化していることが最も影響しています。
(「マン」は忌避用語なので「パーソン」とすべきですが、社会現象をさす場合に「サラリーパーソン化」という用語はまだ人口に膾炙していないので、あえて「マン」のまま用います。ジェンダー不問であることは言うまでもありません)
日本社会全体を覆い尽くすサラリーマン化の波は、一見して思われているほど表層的なものではありません。
給与所得者の比率が増えたんだ、という程度では済まない根深い社会問題なのだという認識が必要です。
世の中の仕組みが、サラリーパーソンを前提に組み替えられてしまったのです。
住宅を借りるにも、給与所得者が優遇され、自営業者は明らかに歓迎されません。
不動産屋さんの店頭で、賃貸物件に申し込んだことのある自営業者の方なら良くご存知だと思います。
それは、そういう立場になってみないと経験できないことですから、勤め人の方には想像できないかもしれません。
不動産屋さんに歓迎されず、仮に申込書を提出できたとしても、今度は保証会社の審査があります。
そこで落とされるケースが少なくありません。
自営業者といっても、何年も業暦を重ねて、利益も上がり、確定申告書にも立派な所得と納税額が載るようになっていれば審査にも通過しますが、その域に達するまでが大変です。
賃貸住宅は難しいとなると、では自分で小さくてもいいからマンションを買おうと思っても、今度は住宅ローンの審査が立ちはだかります。
同じことです。
安定した給与収入のない人には、住宅ローンはまずおりません。
その住宅物件を担保として差し出すのに、です。
これが、理屈を超越したサラリーマン優遇社会=自営業者差別社会の実情です。
クレジットカードの新規作成も、同様に困難です。
もっとも、サラリーマンにも「勤続年数」を記入する箇所があって、あまりに短期で転職を重ねていると審査に通らないこともあります。ここにも、「1つの会社に永年勤続することが良いことだ」という頑迷な大企業型サラリーマン社会の恥部があります。
大手金融機関など、そうしたルールを作って、運用している人々が、自分達が(偶然)属している社会システムが、ユニバーサルに汎用的であると誤解どころか盲信していることから発生している惨事といえるでしょう。
さて、ここまでなら社会のせい、世の中が悪い、という話です。
いってみれば、「人ごと」です。
困った世の中だよな~、ってなものでして、誰にも突き刺さりません。
しかし、「職人の店」を見かけなくなった本当の原因は、もっと身近なところにあったのです。
それは、親の意向です。
もし、あなたの子供、もしくは孫が、「中学を出たら料理屋さんで修行して、将来は立派な板前になりたい」と言い出したら、あなたは「よくぞ言ってくれた!」と涙ながらに感激して、全面的に支援することを即決しますか?
ありがちなのは、「高校行ってからでも遅くはない」とか、「昔はともかく、いまは大学くらい出ておけ」とか言うのではないでしょうか。
「人生の先輩としてのアドバイス」の形式をとっていますが、その実は「親の願望」です。
つまり、親が子供に職人になることを望んでいないのです。
これが、残念ながら現代日本の状況ということになります。
オジサンたちは、客としては職人を欲しがるのに、自分の子供や孫にはなって欲しいとは微塵も思っていないのです。
これでは、「職人の店をめっきり見なくなった」というのも、当然ではないでしょうか。