ファミリービジネスのガバナンス

 9月14日(土曜日)に静岡県立大学においてファミリービジネス学会の第12回全国大会が開催され、文字通り全国から専門研究者や実務家が多数参加して盛大に行われました。(写真は富士川鉄橋から望む秀峰。富士山とお約束の水道橋を鉄橋のトラスに遮られず1枚に収めるのは大変です)

 

 大会委員長は、学会共同創設者で同大学副学長の奥村昭博教授でした。奥村教授は、いま日経新聞で連載中の野中郁次郎一橋大学名誉教授の「私の履歴書」にも研究仲間として登場された経営学の泰斗です。 

 

 ファミリービジネスに関する学術研究は、西欧のみならずアジア諸国でも大変盛んに行なわれていますが、我国では「ファミリービジネス=創業家の専横=ガバナンスが効いていない=遅れた組織形態」という古いステロタイプが根強いこともあり、学術面でも日陰者扱いされてきた期間が長くありました。それらの偏見は、多くの研究者による統計データの解析や実証分析によって完全に否定されています(たとえば、『ファミリービジネス--その強さとリスク』、一橋ビジネスレビュー、63巻2号、2015年、東洋経済新報社)。

 

 とはいえ、このブログでも何度か採り上げているような、社長サンをめぐる騒動のなかには、創業家出身者がみっともない発想や行動をしでかしてしまった例も散見されるのも事実です。

 

 そこで、創業家が経営者として君臨する正統性はどこにあるのか?という、非常に時宜を得たテーマで、学会の中でも大きな全体セッションが組まれ、ご縁により当方にも短い報告の機会を頂きました。

 

 

 ファミリービジネスを研究するうえでは、必ず参照される「スリーサークルモデル」という枠組があります。(ここでは紙幅がないので割愛しますが、奥村教授の論文を貼っておきます[この論文の著者肩書は発表当時のもの]。)

 

 そのファミリービジネスの構成要素とされる3つのうちで、「オーナーシップ」は株式の持株比率という数字で表現できますが、そのほかの2つ、「マネジメント」と「ファミリー」は数字で表現することが容易ではありません。

 

 「マネジメント」は、経営陣の中に名前を連ねているか否か、ということまでは確たる事実として指摘することはできますが、では、それが経営能力が伴っていることを表すかといわれれば、当然ですが、そんなことを保証しているものではありません。

 

 さらに、「ファミリー」という概念に至っては、このスリーサークルモデルに慣れるまでは、1つのモデルの要素として他の2つの概念と同列に扱うことが果して妥当なのか?という疑問を持つ人もいるであろうと容易に想像できるほど茫漠としています。

 

 そこで、この後者2つを正統性の観点から、数字で表現できないか?と考えたのがこちらのマトリックスになります。

 

 近年の社長業界を賑わした事例などからみても、「業績」が経営能力や創業家のブランド力の代替指標になっているのではないか?という問題提起です。

 

 本マトリックスの右上象限のように、持株比率が高く、業績も安定している場合には、これは三冠王として、どこからも文句のつけようがありません。いってみれば、絶対王政であって、王様の君臨や統治には疑問の余地はない訳です。

 

 トヨタやスズキのような世界的に展開して成長している大企業になると、どうしても創業家の持株比率は低下します(右下象限)。しかし、持株比率が低くなっても、業績が安定している限りにおいては、創業家が統治することに対しては、大きな揺らぎはありません。

 

 ところが、業績が低迷してくると、創業家がいくら持株比率の点で優位を占めていても(左上象限)、少なくとも経営トップの地位に居座り続けることには、証券市場などから疑問の声が出てきます。所有と経営の分離へと移行するきっかけになりがちです。

 

 最後に、持株比率も低下していて、業績も低迷して来ると(左下象限)、創業家の経営能力のみならず、創業家という存在自体に意味がない(ブランド価値がない)という見方が社内外から沸々と湧いてくることがあります。こうなると創業家は、既に大株主ではなくなっているので統治はできず、経営者の地位に君臨することも否定され、最後のフックであった「君臨も統治もしないけれど、社内外の人々の精神的な拠り所」たるレガシーとしての存在にもNOが突きつけられたことになります。王制廃止、共和制への移行となるのです。