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イギリスはヨーロッパなのか?

イギリスの総選挙で保守党が大勝しました。新聞は、これでイギリスのEU離脱は来年1月に実行されることが確定的になったと報じています。

 

今回の選挙では、産業革命時からの工業地帯で、労働者階級が多いヨークシャーなどの労働党の金城湯池においても、初めて保守党が優勢になったことが驚きをもって迎えられているようです。ここまでくると、EU離脱を求める英国民の声は、政治的イデオロギーを超越していることが読み取れます。

 

英国の国力の低下とか、独仏に牛耳られたくないとか、いろいろな解説というか講釈がなされているようですが、こうした縁台将棋のにわか評論家たちは、最も根本的なことを看過しています。

 

それは、「イギリスはもともとヨーロッパではない」ということです。

 

ここで、「・・・ということです」という表現を用いたのには訳があります。

「こと」とは何かという弁明をします。

 

「事実」とまでは断定できないし、かといって「国民の想い」という表現するほど軽く、捉えどころのない茫漠とした存在ではないのです。それで、困って「こと」という表記にしました。

 

「イギリスはもともとヨーロッパではない」というように国民の大半が思い込んでおり、さまざまな局面で自然に湧き出て来るので、それは既に「思い込み」などといって済ませられるものではなく、動かせない岩盤であるという感じです。

 

このことを、私の英国滞在時に教えてくれた人がいます。

 

私が英国に住んでいたのは、1989年から1990年にかけてでした。

ちょうど、イラクによるクウェート侵攻やベルリンの壁の崩壊があった頃でした。

 

私たちが子供のころから受けてきた教育では、東西陣営の対立は激烈かつ拮抗しており、どちらか一方が勝利して他方が崩壊するなどということは、まったく考えられないことでした。(そういう固定観念を抱くことは、無論褒められたことではありませんが、それは崩壊した後から言える後知恵であって、当時ベルリンの壁が崩れて影も形もなくなると予言していた人は寡聞にして知りません。)

 

その強固な壁が崩壊したというのをBBCのテレビニュースで見て、せっかく近い所にいるのだからということで、ベルリンに飛びました。

 

とはいえ、ヨークシャーの地方都市に学ぶ貧乏学生の身では簡単に空路を選択できませんから、まず船で北海を渡ってオランダのロッテルダムに入り、鉄路アムステルダムを経由して、そこからやっと空路ベルリンへ向かいました。

 

安い航空会社といえば、いまではLCCがありますが、当時の貧乏旅行は東側のキャリアを使うのが定番でした。成田からはソ連のアエロ・フロートでモスクワ経由ロンドンを往復して、機内食(夕食)のメインが粗末なコッペパンに薄く切ったキュウリが挟んであるだけというミニマリスト食に遭遇して腰を抜かしたのも苦い思い出です。(とてもではないですが、「・・・も今となっては良い思い出です」などと粉飾できるようなシロモノではありませんでした。いま思い出しても刑務所の食事のほうが数段人道的だったと断言できます。)

 

アムステルダムーベルリン間の航空会社は、東ドイツ国営インターフルークでした。ベルリンの壁は崩壊しても、国家としての東独はまだ存続していた頃の話です。東ベルリンのシェーネフェルト空港に到着しました。

 

とる物もとりあえず旅に出たので、すべてが行き当たりばったりです。空港の案内所で、今日のホテルを取ってもらおうとしましたが、カウンターにいた案内嬢は、「できない」というだけで、にべもありません。

 

じゃあ、どこで予約できるか教えてくれよと尋ねると、" I don't know." の一言だけ。それ以降、何を聞いても、" I don't know." の一点張りです。

 

なにせ社会主義国家で、空港の職員も公務員でしょうから、東側の公務員に気の利いた人間がいるわけないと自らに言い聞かせつつ、路線バスで市内に向かったのでした。いま思えば、曲がりなりにも英語で返事をくれたのだから、上出来だったのかもしれません。

 

それで、暮れなずむベルリン市街を、今宵の宿を求めて1軒1軒片っ端から飛び込みました。

Do you have a room for tonight?

などと言って通じるような場所は全部埋まっていました。

 

仕方なく、下宿だか学生寮だかよくわからないような建物のドアも思い切って開けてみます。

1人で留守番をしている爺さまが、ジロっと恐い視線でお出迎えです。こんなところで英語なんか通じるはずもありません。

 

あらかじめ頭の中で復習しておいた即席のドイツ語を言うしかありません。

Haben Sie ein zimmer heute nacht?

おとっつぁんは、黙って無視しています。

かすかに、額というか、眉の先端あたりが、数ミリほど左右に動いたようにも見えました。

 

無言のうちに、「ねえよ、そんなもの。とっとと消えやがれ」と言われたように感じました。

すごすごと踵(きびす)を返します。

 

おっと、イギリスはヨーロッパかという話から随分とずれてしまました。

軌道修正します。

とにかく、英国を経ってオランダ、ドイツ、ベルギー、フランス、イタリアと回って、イギリスに舞い戻りました。

 

そうしたら、いつも使っている銀行のキャッシュカードが使えなくなっていました。

残高はあったのですが、一定期間、出し入れがないと暫時凍結されるようです。

 

そこで、口座を開設した銀行の支店に出向いたのですが、窓口では対処できないので支店長に会ってくれということになりました。

 

It's not my job. といわれるのは普通です。

銀行でも大学の事務室でも、およそ社会全般がそのように構成されています。

 

日本では、「上司を出せ」というのは喧嘩腰の意思表明ですが、西欧近代社会においてはジョブ・ディスクリプションが明確なため、「自分の職務定義に合致しない事項」が持ち込まれても、一切対処することはありません。

 

日本では、最初に出たクラーク(吏員)になんでも期待していまうのですが、そのやり方では何事もにっちもさっちも進みません。躊躇なく「上司を出せ」と言いましょう。

これは白人社会では喧嘩でもなんでもなくて、ごく普通のことですから心配はいりません。それによって、物事は劇的に進行していきます。

 

ところで、当時のイギリス社会では、決済手段としては現金よりも小切手のほうが優勢でした。

主婦であっても、学生であっても、小切手帳を普通に持ち歩いていました。

 

電車やバスに乗ったり、郵便局で切手を買ったり、学食でコーヒーを求めたりするのは現金でしたけれど、スーパーのレジでの支払いや、テークアウトのピザ屋でピザ1枚買うのにも、小切手を切るのは普通の光景でした。

 

まして、都心部の商店街や百貨店などでちょっとした買い物をするときには、現地人の間ではクレジットカードなんかよりもパーソナル・チェックが第一選択肢となっていました。

 

学生用の銀行口座にも、特に頼まなくても小切手帳がついて来ました。

日本と異なり、預金金利のつく普通預金口座のような種別の銀行預金口座にも、小切手帳が自動付帯していました。

 

それで、銀行の支店長に面談することになりました。

 

先程も言いましたが、個人小切手が日常的に使われていたので、商店主は毎日何十枚もお客さんから小切手を受け取ります。これを換金しないと資金繰りに窮してしまいますから、どうしても銀行の窓口が近所にないと困ります。

 

銀行の店舗数が、悪名高き護送船団行政によって規制されていた日本に比べると、桁違いに多くありました。

 

支店(branch)といっても、日本で想像する銀行の支店のような立派な店構えは、都市の中心部に1行につき1店舗あるくらいで、そのほかは出張所のような規模です。

丁度、日本でいえば住宅街にある小さな郵便局を想像してもらえばいいかもしれません。入口は1ヶ所、窓口は2つか3つ、座って待つようなスペースはなく、お客は立って並んでいる状態です。

 

窓口の行員は基本的に女性で、日本のように制服という概念がありませんから、主婦がパートで銀行の窓口に立っている感じです。

窓口では複雑な業務は最初から扱いませんので、銀行員といっても深い知識は不要で、間違えずにカネ勘定をして記帳するのが仕事です。

 

窓口のテラー(出納員)の上司は、小さい店舗ではいきなり支店長です。日本の銀行のように、出納員の後方に管理職が座っていて、いちいち伝票をチェックするなどという発想自体がありません。

 

間違ったら直せばいいし、そもそも間違う確率が低いものを人手を増やしてチェックするくらいなら、間違った分を損失として計上したほうが安く上がって合理的だというのが白人の発想です。

 

その日の帳尻が1円単位まで合致するまで、支店の全職員が残業してでも突け合わせ作業をするという理由がまったく理解できないわけです。

 

で、その小さい支店では、どうやら支店長が唯一の正社員のようでした。

しかし、当時イギリスの銀行の支店長には、大卒はほとんどいませんでした。

 

これには大学の位置づけが日英で根本的に異なっていることを説明しなければなりません。

 

1990年当時の英国の大学進学率は10%台でした。

いまその裏付けとなる確固たる資料は見当たりませんが、当時からこのことに興味があり、そんな低い数字なのかと驚いた記憶があります。

 

ですから、当時のイギリスの大卒者というのは、日本でいえば1960年代の大卒者ほどの稀少性があったということになります。(日本の1960年代の大学進学率は文科省資料で確認可能)

 

日経新聞「私の履歴書」などを読むと、この頃に大学を卒業して就職した話が出てきますが、当時の大企業の新卒採用の主力は高卒で、有名大企業の代表取締役社長にも中高卒の人が多数いたことがわかります。

 

(もっとも、その後イギリスでも、ポリテクニークと呼称されていた多数の高等専門学校が、一挙に大学に昇格するなどして、大学の数が急増したため、大学進学率も急上昇しています。いまでは日本のほうが大学進学率が低いというデータもあるようですから、あくまで1990年時点の話としてご理解ください。)

 

このように大学進学率が低く、大卒者が稀少であるという社会事情と、銀行の支店数が1行あたり日本の数倍(ロイズとTSBの2つの銀行が合併する前で、当時最大手だったナショナルウェストミンスター銀行だけで有人支店が6千店舗もあった!)という金融環境の双方から、「銀行の支店長などに貴重な大卒を配置できない」状況だったのです。

 

その支店長は、歳のころ40代半ばという感じでした。明るい紺地にチョークストライプの背広といういでだちは、田舎支店であってもバンカーだぞという心意気を感じさせました。

 

支店長室でしばし世間話をしました。

 

当時はEU(欧州連合)ではなく、EC(欧州共同体)と称している頃で、共通の通貨もなく、フランスはフラン、ドイツはマルクでやっていました。

鉄の女と呼ばれた誇り高きサッチャー首相は、欧州統一通貨構想への参加を、検討すら値しないという頑な態度で拒否し続けていました。

これが実は英国民の間では、絶大な人気を克ち得ていました。

 

そこで、支店長に問いかけました。「イギリスもヨーロッパの一員なのに、何故そこまで統一に後ろ向きなのか?」と。

 

その答はまったく想定外のもので、当惑したのを覚えています。

「え? イギリスがヨーロッパの一員だって? いつからそんなことになったんだね」

「我々英国民は、自分たちがヨーロッパに属しているなどと考えたことはない」

「その証拠に、フランスやドイツに行くときには、我々は  go to Europe と言っている」

 

へ~、そうだったんですか!

それにしても、「Go to Europe」というのはひどくわかり易い表現です。

 

この時に、こう思ったのを覚えています。

「そういえば、我々日本人も『アジア諸国』って言った時に、自分たちは含まれてないよな~」

 

たとえば、「アジアの人々」などという表現は、いまもマスコミでもSNSでも普通に溢れています。

そのとき、その「人々」とは、「自分達とは違うグループ」という感覚です。

「向こう岸」を遠くから眺めるような、別世界を見る意識が当然のベースになっているように感じます。

 

そう言われると、イギリスが無理をして、自分たちの深層心理を抑制して、我慢して加入した欧州連合から「やっぱり脱退したい」という意向も、わかるような気がします。

本音なんでしょうね。

 

長い歴史から、広く国民大衆に自然に形成された無意識の意識は、理屈では抑えることが難しいということだと思います。