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オープンイノベーションとはパクリノベーションだった

これは2020年7月2日付の日経新聞です。

大手企業と協業する新興企業が、もっている技術やノウハウを協業相手の大企業に持っていかれてしまう例が増えていると報じています。

 

いま起こっていることの詳細はその記事をご覧いただくとして、ここで私は「さもありなん」と思うわけです。

 

前にも書きましたが、オープンイノベーションというのは大企業の社員には大歓迎なわけです。

 

何よりも、自分でもっとも不得意とする「新しいことに挑戦する」というのを、やらないでいいからです。

「新しい」とか「挑戦」とか「最初」とか、そういう前人未踏のことをやりたい人は、元から大企業などには入りません。

 

そんなことは、ほかならぬ経営者自身もその大企業で長年勤務してきたのですから、自分自身も該当しているし、そんな社員ばかりが集まっていることもとっくの昔からわかっているのです。

 

社内に向けて「革新」だとか「新事業」などと発破をかけても、長らく鳴かず飛ばずだったところへ、「オープンイノベーション」がバズワードとして登場したのです。

 

なにしろ、自社がもっとも不得手なことは自社でやらないで済む、外部の新興企業から吸収すればいい、というのですから、待ってました!と飛びつく企業が後を絶たないというのも存分に理解できます。

 

で、ここから大企業の傲慢にして不遜な体質があらわになります。

 

もう時代遅れの恐竜で、かどを右に曲がるだけでも四苦八苦していて、これから隕石でも飛んできたら真っ先に死に絶えるであろうことは、機を見るに敏な(見るだけで行動には移せないのですが、見ることだけはよくできる)大企業の社員ですから、だいたい予想はついています。

 

ただ、当事者としてどうしても希望的なバイアスがかかって、「それは自社であっても他部門からだろう」といってタカをくくっているのですが。

 

で、恐竜様ですから、道のまんなかを堂々とした足取りで闊歩しますし、交渉のテーブルにも自然と上座に陣取るし、万事上から目線でもって、「一緒にやってやる」というテイです。

 

そういう自然に出てしまう身のこなし1つをみても、相手のノウハウや技術に対する尊敬の念が微塵もなく、収奪するのは恐竜様の当然の権利であるという妄想が妄想ではなく固定観念として後天的なDNAとしてビルトインされているのだということがわかります。

 

パクることは罪悪でもなんでもなく、それこそがオープンイノベーションの本質であって、それが今次協業の目的じゃないですか、と。

本当ならこんな名も知らぬ連中と俺たち恐竜様が手を組むなんてことはあり得なかったのだから、いったい何が悪いんだというのが、口には出さなくても本音の部分ではあるわけです。

 

いや、昔はともかく、いまは世の中が進化していて、そんな態度では許してくれませんから、高い技術をもったスタートアップを小馬鹿にするようなことは、最近ではあり得ませんよ、というコメントもあるようです。

 

でもお言葉ですが、だったらこんな新聞記事がいまごろ出るのはなんでですか、となるわけです。

 

やっぱり、社会の隅っこでは、世の中の流れに乗れない、乗りたくない、そもそも流れを知らないという個体群が、実は多数派を占めているのではないでしょうか。