老舗のベンチャー精神

 

 

 私は、商売人の家に生れました。

 あるとき、自分の家の故事来歴を調べてみたくなりました。似た境遇にある方々が同じようなことを言われたり書かれたりしていますが、はじめのうちは、そのようなことには興味はありませんでした。しかし、自分が当事者になり、また年齢も重ねるにつれて、自分がいまあるのは先祖のお蔭であり、その先祖は一体どのような道を歩んできたのかを知りたくなったのです。

 

 江戸時代に遡ることは以前からわかっていましたし、店にはその頃の古文書が額に入れて掲げられていたので、その日付である天保8年はわかっていたのですが、その前が知りたくなりました。

 本当は中興の祖である自分の祖父に聞くべきでしたが、祖父は自分が4歳になる直前に亡くなっておりこれは果たせません。父は三男だったこともあって、家の過去についてはまったく聞かされずに育ったようで、いま尋ねても殆ど何も知りません。

 

 そこで、実家の本家が残っている関西の田舎に数名の古老を訪ねました。バラバラな話を総合すると、どうやら江戸時代以前から、近江国(いまの滋賀県)の北部、殆ど日本海にも遠くないエリアにいたようですが、その当時の資料は現在のところ発掘されていないのでわかりません。

 その後、徳川幕府の初期、西暦で言えば1650年ごろに、同じ近江国のもう少し南のほうに、近親と伝えられる3つの家族と共に移住してきたと言われています。その地で、蚕糸業を営んでいたことは判明しています。その地方は当時養蚕が盛んで、私の子供のころにも、多くの養蚕農家があったのを自分の目で見たのを覚えています。現在でも、大変高級な絹布の特産地として有名です。今でいえば業界団体の組合員証のような証文が先日、蔵を改修していたら中から出て来ました。

 

 さらにその後、江戸時代中期ごろに酒造業に進出したようです。

 このころ、日本の清酒醸造に大変な技術革新が生まれました。それは、清酒醸造工程の最後に「火入れ」といって摂氏60度くらいの湯の桶に浸けることで低温加熱殺菌する工程です。これは英語ではpasteurizationと呼ばれているように、フランスの著名な化学者・パスツールの発見ということになっていますが、我国の清酒醸造の世界では経験的にパスツールの数百年も前(何年くらい前に遡れるかという点については各種の主張があって厳密には確定していません)から実践されてきた技法だったのです。

 この技術革新によって、お酒の日持ちが格段に向上しました。ということは、意欲のある醸造家にとっては、販路を拡大するチャンスになった訳です。

 

 大正6年、私の祖父が東京に進出しました。関西の本家はそのまま本拠地として残したまま、支店として東京へ出たようです。

 直後の大正12年に関東大震災に罹災するも懸命の復旧を行い、後には東京市京橋区越前堀町会長を拝命するなど、昭和初期には隆盛していたと思われます。戦後は朝鮮戦争後の景気の急拡大により東京を中心に業務用というまったく新たな市場が出現し、この市場の嚆矢として優良な得意先に恵まれ大きく発展しました。

 

 単にお客様からの注文を待つのではなく、革新的な販売方法をいろいろ開発したようです。1例として、木製の1合升の中に小さなコップを入れ、そこに清酒を注ぎ入れて、わざと溢れさせてお客を喜ばすという手法です。現在では日本中で行われていますが、祖父が思いついて得意先に普及して歩いたと伝えられています。

 また、地方の酒造蔵と東京の事業者をマッチングさせ、山手線の各駅前に1軒ずつ地方酒の銘柄を専門に販売する酒蔵(居酒屋というのは比較的新しい呼び方で、当時は大衆酒場とか酒蔵と呼んでいたようです)を開設する新しいビジネスモデルを創始し、「山手線作戦」と名付けて大きく展開しました。

 東京、有楽町、新橋、田町、目黒、渋谷、新宿、高田馬場、池袋、巣鴨、上野、御徒町、秋葉原、神田、錦糸町(ここだけは山手線ではないですが)と店を次々に開いて、どこも大いに繁盛したようです。

 東京の事業者の中には、これによって初めて外食産業へ進出し、それを基盤として後に外食企業として規模を拡大していった会社も出ています。

 

 こうして業容を拡大し、国税庁の発表する酒類小売業免許による販売量では、あの三越本店に次いで全国2位を10年保持したようです。

 

 このように、江戸初期の移住、蚕糸業から酒造業への参入、東京進出、酒造業から販売業への業態転換・・というように、このファミリーは時代時代の流れに応じて果敢にリスクを取って新規事業に進出していった歴史だったことがわかりました。

 

 老舗は古いだけでは存続し続けることができません。常に新しい、温故知新の精神を身をもって体現し続ける存在であったればこその現在なのです。老舗の信用と進取の気性の融合、これこそが老舗ベンチャーなのです。

 いま申しましたように、私のファミリーは蚕糸業や酒造業という、元々「ものづくり」=製造業を営んでいました。大正年間から流通業に進出しました。

 

 まったくゼロから何かをスタートさせるのではなく、何らかの基盤が既にあって、その上に新しい何かを始めるというのは、非常に合理的です。

 どういう点で合理的かと申しますと、既に事業者として築いてきた社会的信用を活用できるということです。事業を開始するには、経営資源を新たに調達せねばなりません。人材の採用、物資の購入、資金の借入です。この際に、「永年の信用」という無形の資産が非常に重要性をもってくるのです。

 

 商売人の後継者もしくはその候補者の方に、私は声を大にして申し上げたいことがあります。

 それは、オーナーシップを持てば、目の前の景色が一変するということです。やらされている。やらなきゃならない。仕方ない。こういう単語から突如解放されるのです。

 新たな単語は、自分次第、新鮮、挑戦、やりたい、面白い・・・と、いくらでも出て来ます。

 どうでしょうか? これらの単語を新旧で比べてみると、まったく別世界に踏み入れたことが傍目(はため)にも明らかではないでしょうか?

 

 家業があるということは、このような世界に入る特権を持っているということなのです。サラリーマンの家系では、この特権はありません。自分がゼロから立ち上げるしかないのです。無論、ゼロからの起業は、非常に貴重な発想と行動ですから大いに賞賛されて然るべきものです。

 しかし、今あるビジネスは、単に今あるだけではなく、永く営業してきた伝統と信用が伴っているのです。これは昨日今日始まったばかりのベンチャー企業には決して一朝一夕には備わらないものです。無形ではあっても、とてつもなく巨大な資産なのです。

 

 これを活かさない手はありません。あまりにも勿体ない。活かすも殺すも、当時者の気持ちの持ち方1つです。

 

 多言を弄するよりも、一言だけにしたほうがインパクトがあると思いますから、その一言でこの文章を締めたいと思います。

 オーナーシップ。

 これさえ、自己の内面に生じたら、すべては自動的に、そして全面的に、コペルニクス的な転回を始めるでしょう。