2000 年   7 月初版

2005 年 11 月増補

 

 

在来産業の合理的革新による我国中小企業再興の理念と方策

 

上 野 善 久

 

 

日本の在来産業を甦らせる

 

■日本に伝わる多様な文化を守る

 

 失われた 10 年という言葉に象徴されるように、現在の日本人はすべてにおいて自信喪

失の状況にあるのではないでしょうか。 しかしながら、顧みれば我国は世界でも有数の

歴史を誇り、高度な文化を古くから伝承して来たことは言うまでもありません。

 それは、書画、彫刻、文学、音楽、演劇などのいわゆる芸術に属する諸分野ばかりでは

ありません。 庶民の日常生活そのものに根ざしたさまざまの分野において、文化と称す

べき営為が連綿と保たれ今日に至っています。

 例えば、世界でも稀な多様性をもつ飲食。 その背後にある農林漁業。世界最古の木造

建築・法隆寺を可能にした建築。 絹織物に象徴される衣料。衣食住という日常の中で特

段意識されずに伝わってきたものが、実は世界的には非常に高度な技術に裏打ちされた営

みであり、それを支えてきた職人達を輩出した我国の土壌こそが誇りを持って後世に伝え

ていくべきものと捉えています。

 しかし、バブル経済の崩壊以降、農業以外は無きに等しい「産業政策」の貧困もあって

すべてが効率化の名のもとに資本の論理が横行し、とにかくローコストで最低の機能があ

りさえすれば、良いものも文化的価値のあるものもそれに取って代わられてしまう時代に

なってしまったと言えるのではないでしょうか。

 具体例で言えば、ファーストフードのチェーン店の攻勢により、周囲の生業的な飲食店

舗が廃業に追い込まれ、各地で食の多様性が次々に崩壊し始めています。製造業では宮大

工などに端を発する職人技、すなわち多様な分野における匠の技能が継承する者なく消失

の危機に瀕しています。衣料においても過度に流行を賞賛する風潮も相俟って、和装は勿

論のこと流通にあっては帽子、履物など単品の奥行きが浅薄化しています。

 当社は、こうした危機に瀕するさまざまな日本の文化を、産業界の立場から市場という

場を通じて守り、そして後世に伝えていきたいと考えています。

 

■「構造改革至上主義」を超えて

 

 “長いデフレ不況に喘ぐ日本は、もう製造の場としては中国にかなわないし、流通業も

非効率で欧米企業に遠く及ばない収益性しか実現できない。 よって、今後は米国のよう

に国内総生産の半分以上をサービス業が稼ぎ出すような付加価値の高い社会をめざすべき

だ。”訳知り顔の評論家や企業の現場を歩かないタイプの学者先生の意見を集約すれば、

大方そのようなところではないでしょうか?

 当社はそのような一方的な見方には賛成できません。

 先端技術を駆使したハイテク産業でもなく、他方「アミューズメント」とか「コンテン

ツ」といった華美な装飾語を冠に頂く訳でもない、ごく普通の在来型産業が数多く残って

います。 これまで我国の経済を支え、雇用の場として社会基盤(インフラ)とすら看做

すことの出来る在来産業、すなわち、生業的な街の商店、手に技を身につけた職人や町工

場などを中心とした商工業者は、本当にもうダメなのでしょうか? こうした人々は、国

家の進める「構造改革」によって“より付加価値の高い”他の産業に転換しなければなら

ない、というのは本当なのでしょうか?

 全くの誤謬なのです。

 これほどの欺瞞に満ちた、証明されない単なる仮説を、連日連夜宰相と主務大臣の口か

ら聞かされ続けた国民は、我国の長い歴史の中でも、最も不幸な時期を過ごしていると言

わざるを得ないとさえ考えます。

 構造改革路線においては、“効率化を達成できる筈のない非効率な在来産業は、なくな

っても構わない”けれども、その結果失業者があふれ出て来ては困るので、“そうした死

に絶えるべき産業に勤務している従業者は、職業訓練によって新たな技能を身につけて新

規成長産業に雇ってもらえるよう努力しなさい”、という実に乱暴な議論が平気でなされ

ています。

 また、業種転換を迫られた在来産業の経営者には、制度融資で支援します、と。こうし

た形ばかりの労働者“支援”や金融“支援”が「セーフティーネット」の名のもとに“構

造改革”その実「清算主義」の正当化の小道具として打ち出されているのです。つまり、

在来産業の従業員には全くなじみのない新しい仕事に就きなさい、経営者にはノウハウも

販路も異なる全く別の業種に新規参入して頑張ってみなさい、そういう(無謀な)大博打

を打つ準備のお手伝いは(徒労に終るだろうけれど)してあげますよ、と言っているので

す。

 これでも「構造改革」路線に対する反駁が低調なのは、一体何故なのでしょうか?

これに代る産業再生の具体的スキームが見えてこないからなのでしょうか? もしそう

だとしたら、ここにこそ、当社の出番があるのです。

 

■日本を支える中小事業者の心意気を守る

 

 当社の創業に先んじること 1‐2 年の間に、いわゆる「ネットベンチャー」の起業が相

次ぎ、中には確たる事業基盤を形成する前に証券市場に公開し、運良く株価が高騰して多

額の資金を手に入れた事業者が存在します。 これに関して「日本にもリスクをとる生き

方が生まれた」「間接金融から直接金融へのシフト」などといった評論を聞いても、素直

に納得できる人は少ないでしょう。

 「ビジネスモデル」と称する実体のない空想だけで濡れ手に泡の巨万の富が、仮に一時

的であっても築けてしまった状況はどう考えても心情的にはなかなか受け入れられません。

我国の経済と雇用を支えてきた中小企業は、その大多数がコツコツと地道に、まじめ

に商売をし、そしてきちんと納税義務を果して来たのです。 苦しくても必死に従業員の

雇用を守っているこの現実。大半の商店や町工場は、小なりといえどもそれなりに安定し

た顧客基盤、確実な売上とキャッシュフローを持つ「真っ当なビジネス」なのです。 否、

「真っ当なビジネスであった」と最早過去形にせねばならないような状況にまで事態は切

迫しています。 中小企業経営者の自殺も急増しており、構造改革の名のもとに国家が棄

民政策を取り始めたといっても過言ではないでしょう。

 では、どうすれば良いのでしょうか? それは、いたずらに国家の無策や愚策を批判す

るのではなく、自らが先頭に立ってどのような環境下にあってもリスクを取る実業者とし

てのプライドを前面に押し立て、業績という客観的な成果で自己の熱き想いを世に示すこ

としかありません。

 「コツコツ働く」「地道にやる」という永らくこの国において信奉し実践されてきた美

徳も、国際的な金融資本や拝金主義の前には、もはや風前の灯です。永年にわたり愚直に

やってきた日本中の中小事業者が馬鹿を見ないような、「それで良かったんだ」と思える

ような近代化の道筋を当社が示し、多くの事業者と希望を分かち合いたいのです。

 

■在来産業を合理的に革新するジェノスの産業再生モデル

 

 どこの街角にもあったなじみの商店、あるいは、道路に面した自宅兼作業所で朝早くか

ら夜遅くまでものづくりに励んでいた町工場。もっと見方を変えれば、今や絶えて久しい

と言われる「尊敬に価する教育者」と呼べるような教師のいる地元の学校、仁術としての

医術を施す街の医院、近所の子供達の遊び場であり時にお目玉を食らわせる真の宗教家た

る神社や寺院。 こうした「機能と精神の融合」とも称すべき物と心の拠り処が急激に亡

失してゆく現況にあって、もはや傍観することはこの国に生を受けた者として罪悪ですら

あり、これを放置することは「未必の故意」ですらあるのではないか、と考えています。

当社は、「伝統企業の合理的革新モデル」を提示し、情報技術などを活用した企業革新

を自ら実践して成功することで、永年地道にやってきた日本中のあらゆる在来産業に活力

を取り戻し、雇用の維持・拡大、以て経済と精神の同時充足に役立ちたいと切に考えて創

業したものです。

 このように言うと、「在来産業でそんなびっくりするような革新が起せるのか?」と疑

う向きもあるかもしれません。しかし、遅れた業界で先進的なことを合理的にやると、

「1人勝ち」が出来ることは、「遅れた運送屋業界」における「ヤマト運輸の宅急便」の

成功を見るまでもなく、これは相当程度明らかなのです。少なくとも、「構造改革には痛

みが伴う」とか「構造改革なくして景気回復なし」といった思いつきの片言隻句よりは、

実証されているのです。

 そもそも、「構造改革には痛みが伴う」などと一国の指導者がいとも簡単に口走り続け

るのも無責任な話です。外科医が患者に対して、「手術ですから痛みが伴いますよ」と称

して麻酔なしでいきなりメスで切り込むのと同じ事です。こんなことは藪医者でもやらな

いという点において、構造改革路線の処方箋を藪医者扱いしては藪医者に対して失礼とい

うものです。

 

■「リストラしない」ことこそ経済合理的--「五方良し」のジェノススキーム

 

 当社は、前身となった会社時代を含めれば 100 年以上の永きに亘って人を雇用してきま

した。また、当社が西暦 2000 年に創業した時に 30 余名だった従業員は、いま 200 名近く

になりました。無論その間には残念ながら中途で退社していった人達もいます。

 そうした経験から言えることは、人は適性があって慣れ親しんだ仕事に従事する時にそ

の持てる能力を最大限発揮する、ということです。不慣れな仕事を押し付けることは、仮

に研修や訓練を実施したところで、その人本来の力を期待するのには無理があります。例

外は勿論あるでしょう。しかし、大多数のケースでは、相撲が取れなくなったからといっ

て、今度は短距離走の選手になりなさい、トレーニングは見てあげるから、と強制するこ

とで一体誰が幸福になるというのでしょうか。

 人間には、それが1人1人の個人であれ、組織という集団であれ、新しい仕事には習熟

する期間が必要です。そして一般的には加齢とともにその習熟に要する期間は延びて行き、

中高年の新規産業への雇用転換は、現実問題として経済的に本当にペイし得るのかという

検証を必要としています。

 当社の唱導する「伝統産業の合理的革新モデル」においては、いわゆるハゲタカファン

ドのように「人員カットありき」の「口減らしによる再生」に真っ向から反対し、「心と

ノウハウを持った従業員のやる気を 200%引き出す」ことで事業再興を実施します。永年

に亘ってその事業、その企業を支えてきた従業員、特に「職人技」の域に達しているベテ

ラン社員こそ、プロフェッショナルとして敬意を払い、慣れ親しんだ仕事においてその能

力を遺憾なく発揮して頂きたい。こう願っているのです。

 そうした習熟曲線が経済的に合理性を有することは、過去米国の主要企業を調査した数

量解析の実証分析で証明されて久しい「事実」なのです。統計的に実証された理論を無視

して事業再生を強行しても、その会社の競争力が向上するはずはありません。事業の付加

価値は他ならぬ従業員が作り上げていくしかないからです。

 こうした「永年貢献してきた従業員を守る」ことと、今ある事業を興し、守り育ててき

た代々の事業オーナーとその会社の中心人物たる経営者の魂の拠り所である「暖簾」を守

ること。永年御贔屓頂いた得意先やこれまで支援してくれた仕入先を守ること。こうした

「譲れないもの(心の世界)を守る」ことによる事業再生によって初めて「従業員」「得

意先・仕入先」「代々の経営者」「資本家・債権者」「世間」の五方良しのスキームが可

能になるのです。

 このような取組みが一朝一夕にできるものではないことは、承知の上です。しかし、そ

れを可能にするか、或いは掛け声だけに終らせるかは、意思の問題だと考えています。

要は、他者が無理だからといってやらずにいることを、積極果敢に「やろう」とする経

営者の気概の違いではないでしょうか。顧客に支持される経済合理的な裏づけがあれば、

収益は必ずついてくると信じています。そして、そのことを証明し、誰にも納得のいく数

値上の成果として提示するために、当社はジェノススキームによる産業再生の第1号案件

として、旧来の商慣習などが色濃く残る酒類卸事業を自ら手掛けているのです。

 

在来産業再生のためのキーコンセプト

 

■老舗ベンチャー/伝統と進取の精神の融合

 老舗にあってベンチャー企業に得られぬもの、それは信用という無形の資産です。信用

は規模の拡大で自動的に得られるものではなく、他方、単に古いだけで備わるものでもあ

りません。

 永年にわたり、お客様や取引先を裏切らない企業行動の蓄積があって初めて、この目に

見えない「信用」という財産を手にすることができます。要するに、この会社なら安心だ、

という価値判断の尺度の役割を瞬時に果すものなのです。

 ところが、永年の紆余曲折の末にやっとのことで信用を形成し得た企業は、組織も経営

マインドも硬直化の途を辿ってしまうことが珍しくありません。信用のある企業で、時代

時代の要請に的確に自己を変革し得た企業は非常に少ないのが現実です。

 ましてや、少しずつ事業環境に適合していこうという漸移的な自己改革ではなく、急激

に自己を抜本改革することは、古来、爬虫類から哺乳類へという不可逆な流れに抗えなか

った恐竜や、巨大隕石の地球激突によって絶滅したマンモスの例を挙げるまでもなく、極

めて困難な作業であると言えます。これを現代企業におけるベンチャー精神と言ってしま

っては些か陳腐の感無きにしもあらずですが、そうした進取の気性を持ち、自己をコペル

ニクス的に転換する用意のある者であり続けたいと考えます。

 ここに老舗の信用と、ベンチャー企業の進取精神という本来相反する概念を融合させた

老舗ベンチャーの真意があります。

 

■バーチャルチェーン/独立性と連携メリットの両立

 

 低成長からマイナス成長に悪化する経済にあっては、否応なく弱肉強食の地獄絵巻が展

開します。そこでは常に大手が中小を食うという構図では必ずしもないとはいえ、確率的

には規模の利益を享受し得た者がそうでない者の商圏を強奪することが多いのも事実です。

それでは、中小にとっては最早打開策は尽きたのかというと決してそうではありません。

 顧客にとっては価格もさることながら、選択の余地、多様性といった各個別々の価値観

を充足させることができる場こそが望ましと言えるでしょう。 どの業種であれ、低価格、

効率の対極には高付加価値、多様性があります。 この両極を同時に実現することはマイ

ケル・ポーターの議論を待つまでもなく、極めて難しいことがこれまで世界中で実証され

ています。 要するにこの対極は使う筋肉が全く異なり、1つの組織体において両方の筋

肉を鍛えて、片方の筋肉だけで勝負してくる専門プレーヤーを1人で打ち負かすことは不

可能に近いのです。 短距離走と重量挙げの2種目で金メダルを獲得した選手がいまだか

つて現れないのと同じです。

 とすれば、中小事業者にも勝ち目は大いにあることになります。低コストによる価格競

争戦略の大手企業に対して、「それに近いコスト構造を実現しつつ、主として付加価値サ

イドでの戦いを挑む」のです。

 そこで当社は、中小事業者に対して、原材料・人材・資金の調達をサポートし、大手企

業に近い調達価格になるように努める。 相対取引では困難なことであっても、取引先が

無数に集合してあたかも1つの大企業のような仮想(バーチャル)集団となれば、問題は

自動的に解決します。 調達だけではなく、商品開発、広告宣伝といったマーケティング

の側面においても、点が面となることによって最終ユーザーを惹きつけることが可能にな

ります。

 これは、異なる個性を持った事業者を連鎖的に融合させる事業構造の構築と、機会損失

削減と商材開発のためのデータ収集に資するサプライチェーン・マネジメント(SCM)を

初めとする情報技術の開発によって確実に実現すると信じています。

 

 私たちは、以上の理念に賛同して結集するそれぞれの会社やファミリーの伝統を大切に

しつつ、どの産業にも普遍的な枠組みにより、新たな価値を創造し、ひろく社会に貢献し

ます。